
六星占術によると、
今年は「再会」という年に当たるらしい。
取り立てて占いに興味があるというわけではないのだが、
「再会」という言葉に心惹かれるものがあり、
いったい何に再会するのだろうと気になっていた。
先日、事務所の本棚を整理していると埃まみれの靴箱を発見。
そして、自分自身思いもしなかったものに再会することになった。
箱を開けて見ると、
北海道酪農時代に知りあった女性からの手紙や
インド・ネパール放浪時代の写真、
更には高校時代の修学旅行の写真なんてものまで出てきた。
その一つ一つを懐かしく見ていると
だんだん脳の奥のほうの回路にアクセスし始めたのか
もうすっかり忘れていた、いろんな思いが顔を出し始めた。
箱の奥に擦り切れてちぎれそうな一通のエアメールを発見。
それは25年も前にインドから届いた友人の手紙だった。
「僕たちは、何のために生まれてきたのか
今、目の前にある事を着色せず、ありのままに受け入れたい。」
そのなぐり書きのような文字は、
何かを伝えたかったというよりも
湧き出る思いを止められないという感じだった。
当時の私は、かなり遅れてきた大学生で、
同級生たちはみんな年下、すでに卒業して企業に就職という
既存のレールから脱線しかけており、
そのせいもあってか、手紙の向うで何が起こっているのか
とても興味深く読んでいたことを思い出す。
結局、その手紙が引き金になって、
私もインド・ネパール放浪の旅に出ることになったのだが
今になって旅の写真をめくってみると
いかにも青臭く、不安げで、傲慢そうな表情が見えてきた。
自分の人生どうしたらいいのか持て余しているくせに
何か自分だけの新しい世界を構築したい。
そんな得もしれぬ自信と押し潰されそうな不安が
入り混じった、そんな気分だったんだろうなきっと。
そのとき、はたと気がついた。
あのときの自分と今の自分、驚くほど似ている。
人生も折り返しを過ぎ、
暮らしの中で自分の気持ちに正直に向かい合い、
生計を守りながらも、すこし社会に貢献できることはないか。
人と人との繋がりの中で、
自分だからこそ、できることに労を惜しまず、
齢を重ねても、やるべきことがある
そんな人生を歩めないか・・・。
その葛藤する姿は、昔の自分と完全にダブっている。
再会・・・あっ、これが再会だ。
あの頃の自分にこのタイミングで再会することは
きっと大きな意味があるんだろうな。
新しい私はこれから、何を見せてくれるのだろうか。
しっかりと向き合っていきたいと思った。
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